エゴイスト

b0135545_22403194.jpg

エゴイストが、自分の前からいなくなったとき…、もしかすると真っ先にエゴイストになるのは自分なのかもしれません。

エゴイストがいるおかげで、自分がエゴイストにならずに済んでいるのか、それとも私のエゴに振り回され耐え忍んでいる人がいることを気づかずにいるのか。
わかりません。


「色即是空」とは、そんな相対性をもいうのかもしれません。

「悪」がいないと「正義」は活躍できませんからね。

アートバカmumeのブログ←こちら関連記事です。
[PR]
Commented by 出MAX at 2008-12-31 10:53 x
恍惚と不安。
そんなゆらぎに
悪と善はただようのよね。
ぷかぷかと、ちゃぷちゃぷとさ。
Commented by mume107 at 2008-12-31 17:36
漂い流れて、外側に悪を探したら安堵して正義に燃えるけど、内側の悪は野放しだったりして…。

気がつかないもんですね。
除夜の鐘を聞きながら、いくつ煩悩数えられるかな?
煩悩については、ウィキペディア参照してみましょう。
Commented by mume107 at 2009-01-02 20:55
えっと…この上のコメレスこそがエゴイズムでした。
コメントくださった出町さま、お許しくだされ。出町さまのことを申し上げたわけではございません。

煩悩あるから人間なんです。
自分の持つ煩悩が108つあるうちのどれなのか、自覚あるのとないのとでは、キケン度が全然違うと思います。
隠したりごまかしたりの他者に鬼にされ退治されて泣いた旧年でしたが、自分の中の鬼は自分が退治しようと思うのです。

他者の中の鬼は放っておくしかないのです。
失礼いたしました。
Commented by 河内浩太 at 2009-01-10 13:06 x
人が何か対象に憎悪を抱くとき、
もしかすると、今目の前にある対象そのものが憎いのではなくて、
本当はそれまで自分の中で蓄積されてきた「記憶」が憎いのかもしれない。
対象に触れたときに連想されてきた記憶に嫌悪感を抱き、
それを何度も反芻することで更に嫌悪感を増幅し、自らを苦しめていく。
しかし、その苦痛を和らげるために矛先が向けられるのは、
自分の内側にある「記憶」ではなく、外側にある「対象」となる。
この根本としてあるのが、「自分至上主義」であり、本来的な意味とはかけ離れた「個人(個性)主義」ではないだろうか。
そして、その「対象」を、自己正当化装置としての「悪」として位置づけることになる。
おそらく、それは憎悪に限らず、他の価値判断や歴史判断においても同じなのではないか。
そうした「記憶(欲望・感情含む)」に基づいてなされた判断の連鎖が、
やがて無意識のレベルにおいても定着したものとなり、
人は「ありのまま」の実体から遠く離れていくのではないかと思っております。
「色即是空」はまさにそうした記憶に固執する人間を戒める最適な言葉でしょう。
Commented by mume107 at 2009-01-10 14:46
河内さん、コメントありがとうございます。
矛先を向けられた側はたまりません。
人は、「善」か「悪」かの二元化の物語の中で物事を理解しようとし、判断しようとします。
己の心の安定を量るために他者に「悪」を求めるのだと思います。
自分にとって都合の悪い相手、怒らせても自分にデメリットの少ないと思われる相手をゴートスケープに選ぶケースが少なくありません。
そんな、人の野蛮な性質が、恐慌や戦争や飢餓で弱い人達を苦しめているのでしょう。

その潜在的にある本能を改革してゆくのが、哲学、宗教、文化、音楽、芸術、の役割ではないかなと思っています。
by mume107 | 2008-12-30 22:40 | アート | Comments(5)