守護神を研究中


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アートの解釈も和歌の解釈は人さまざまで、どれがいいとか高い低いなく、鑑賞した人が共感し、自分の心を代弁するものとして自由でいいのだと思います。

あのゴジラも、人間が幸せになるための文明の負が生み出した闇の部分、アンチヒーロー。

という解釈もあれば、人間の味方、子どもたちの友だちとされたこともあります。


修行中のお坊さんの和歌ですが、恋人を思って詠まれたものという説もありますが、仏への憧れ、無心の境地に達することの難しさ、を詠ったのだろうなという解釈もあります。

その解釈はご自身のものです。

「もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし」は前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)の和歌です。
行尊さんの修行をしているお寺は神仏融合の教えでした。
ところが、自分たちの考えの正当性を主張する僧兵がこの寺を焼き討ちにしたのだそうです。

お寺を失ったお坊さんたちは、怒りにまかせて報復などせずに、静かに托鉢に出られたのだそうです。

そんなときに自分の正しさを主張せず、誰も見にこないような山の中に生き生きと咲いている山桜の生命力に心打たれたのを詠われたものなのだそうです。



西行法師もこう云われたのだとか。


西行法師常に来りて言はく、

『我が歌を読むは遥かに尋常に異なり。花、ほととぎす
、月、雪、すべて万物の興に向ひても、およそあらゆる相これ虚妄なること、眼に遮り、耳に満てり。

また読み出すところの言句は皆これ真言にあらずや。

花を詠むとも実に花と思ふことなく、月を詠ずれども実に月とも思はず。

ただこの如くして、縁に随ひ、興に随ひ、読みおくところなり。

たなびけば虚空色どれるに似たり。

白日かがやけば虚空明かなるに似たり。

しかれども、虚空は本明らかなるものにあらず。

また、色どれるにもあらず。

我またこの虚空の如くなる心の上において、種々の風情を色どるといへども更に蹤跡なし。

この歌即ち是れ如来の真の形体なり。』

と云々」(『明恵上人伝記』)








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by mume107 | 2016-04-06 07:43 | アート | Comments(0)