レディ・メイドについて

デュシャンのレディ・メイドは、芸術と科学・技術に対する言わば両刃の刃です。
それは芸術の<作る>に既製品の精度を突きつけ、もう一方の高い<機能>をもつ既製品には、機能をはずした概念の脈絡をつきつけます。  この行為によって、不備を指摘された両者の間に浮かび上がるのが、  デュシャンの思考から生まれた新たな世界の見方として提出された芸術表現です。現代美術はデュシャンの思考する自由の実践を先達として展開されていきます。
20世紀アメリカ現代美術作家論「アメリカ現代美術は何を残したか」 河瀬 昇 より


とくに意識していませんでしたが、私の考えはデュシャンの考え方とは別にあるようなのかどうなのか、わかりません・・・。
作家が手を加えてない既成のもの。
それは単体では、何の性格も気質もないものとします。
しかし、作家が目をつけたところで、そこに性格や気質が宿るのです。
「色即是空」(筑波大学名誉教授・曹洞宗天徳院住職の大藪正哉先生解説より。 )
の考え方というのは、こういうことではないかな。

作家以外の人が見た場合、その人の経験や知識、価値観によって同じものを見ていても、感じるものはそれぞれでしょう。

たとえば同じ事柄でも、新聞の記事でいったら、社会面ふう、経済面ふう、文化面ふう、三面記事ふう、ゴシップ記事ふうにと、人によって捉え方は、その人のキャパシティによって違いますよね。

芥川賞の小説を読んでも、文学作品として深い感銘うけるか、スキャンダルなエロ小説として読むのか。
その人の発想の源によって、作家の意図することからズレるだろうし。
だからといって、価値観が多様にあるのだから、それを否定するつもりではないですよ。

その人が関心を持っていることにつなげて、その人なりの解釈をすることによって、その人の一日の運命がネガからポジに転換する、ってことあると思うのです。

作家の性格や気質を持たないものを展示することによって、それは見る人の鏡になりうると、考えます。

そこからなにかをつかんで、問題解決してもらえれば・・・。
「災い転じて福と成す」。
アートバカなりに、芸術に親しんでもらいたいという願いからです。
バカは、富山弁では ダラ 032.gif056.gifといいます。(ちょっと余談)
 
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Commented by 権吾 at 2008-04-17 16:34 x
デュシャンのアートは、ある物体や事柄に対し、人それぞれが独自の視点によって多様な受け止め方をするのはよいのだけど、そこに現れる独自の価値観が、「どこから生じたものなのか?」例えば「既存の概念によって毒された発想に基づいているだけではないか?」といったことを、鑑賞者側にも問い直してもらわないと成立しないようだから、理解してもらうのは大変そうだね。
Commented by mume107 at 2008-04-17 23:25
ようこそようこそ。
つたない文面ですが、わかっていただけましたか(笑)。
鑑賞者に、自分が感じたものは自分を映している、ということは簡単に認めてはもらえないでしょうね。
血液型診断のように、誰にでもあてはまりそうなことを代弁されるなら、自分を知ることができたような錯覚しますけど。
身近なことに重ねるところから、理解してもらえたら・・・と考えてる次第です。
無機質で透明なものほど、映しますからねぇ。
そういえば、デュシャンの作品「大ガラス」がありましたねぇ。
同じ考えでたどりついたのでしょうか。
・・・んなことないか。
Commented by 権吾 at 2008-04-18 16:24 x
たぶん「自分が感じたものは本当に自分を映しているのか?」さえも疑うことをデュシャンは求めているのだと思いますよ。「感じる」という行為自体は本能かもしれないけど、「感じる」という行為によって導き出される答えは、ただ単に頭の中へ詰め込まれた固定観念的概念が導き出しているだけかもしれませんから…。

で、「大ガラス」に関していうと、それに「ひびが入る」というアクシデントがあって「これで作品が完成した」みたいなことをデュシャンは言ったのだけど、意図できない偶発的なアクシデントは疑っても仕方がないので、そのような疑えないものを彼は理想としたのだと思います。でも、アクシデントが起こった事後(それをアートとした行為)は、全てデュシャの計算(意図)によるものでしょうけど…。
Commented by mume107 at 2008-04-19 00:02
デュシャンの求めていることは権吾さんの言われるとおりだとして、
私の場合、テーマは「こども心」なので、ある程度の「固定観念的概念」にもとづいた理解の仕方も、致し方ないとも思いまよ。
こどもは、無機質な物体でも身近な人間に擬人化して、社会を理解していきますから。
これなら、歴史の浅い、履き違えられて偏った教育や道徳に汚染された大人も、こども心に返ってちょっと見方を変えて忘れていたものを取り戻し易いかな、と思います。
あぁ~ぁ?!なるほど。
「歴史の浅い、履き違えられて偏った教育や道徳」それを固定観念的概念というのか。
また、斬り込み入れてくださいね。
そのほうが、考えに発展性が生まれますから。
by mume107 | 2008-04-17 11:05 | アート | Comments(4)