またまた デュシャンの「泉」

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それは、いつから?

人々が花が美しいと感じるようになり、
鳥が自由だと思われるようになったのは。

デュシャンの「泉」が新しい概念としてマスメディアを通して登場して、100年足らず。

排泄物が不衛生で、それにまつわる物も不浄なものという認識は大昔からあったはず。
もしかしたら700万年前の猿人類以前からだったりして。
(参照 トイレの歴史


もし、あなたの食卓に、初めて使われた新しい便器に盛り付けられた、料理が出されたとします。

食欲、失せませんか?
それとも、「変わってて面白い」と、逆に食欲そそりますかね。
「ただの器だ、別に不衛生でもない」と、思えますかね。

日本の神話にも、古事記にはイザナギ、イザナミの二番目の子供が自分の排泄の穴から穀物を出して、皆に振舞ったらしいけど、それを気味悪がられ嫌って殺され、土に埋められたところから、麦だったか粟だっだかが生えてきたという話し(だったかな?汗)ですが、世界中のどこにも、似たような話しがあるそうです。

イギリスの物理学者ロジャー・ペンローズが考案した平面充填形で二種類の菱形によるものである、ペンローズ・タイル。
無断でトイレットペーパーの図柄に使われ裁判沙汰になり、判決では不遜として使用禁止となった。(参照『ウィキペディア(Wikipedia)』

トイレにまつわるもののイメージのせいだったのでしょうか。
宿命ですかねぇ。
(「宿命」とすることについても、なにか限定する必要あるのか?)

それでも、デュシャンの「泉」は、新しいアイデアとして脚光を浴びたのです。

イメージを捨てて、「これは、物言わぬただの物体ではないか」
と、見ることができる人は、いったいどのくらいいるのでしょう。

注意  アートは、どんな見方が正しいとか、こう見るべきだという決まりはありません。
     自由に思考を働かせ、自分にとって希望の持てる方に見るのがいいでしょう。

奇妙なものを見たとき、私たちは・・・
↑こちらもどうぞ。


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by mume107 | 2008-05-19 16:15 | アート | Comments(0)