まぶしい飛行機雲。
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新月が過ぎたばかりで、眠れない上に月にまばゆく照らされて、というわけではないけど、季節柄心境を表す一句。

「心なき秋の月夜のもの思ふと寝の寝らえぬに照りつつもとな」


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直売所ではお米や栗がすぐ売れます。
ポポーはテレビで紹介されたときほどではないにしろ、地道に喜ばれているようです。
ありがとうございます。
写真は先日の強風で大量に落下したときのものです。



















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by mume107 | 2016-10-05 22:00 | | Comments(0)

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明日ありと 思う心の仇桜
夜半に 嵐の 吹くものかは

幼い忠範(のちの親鸞)が母を亡くし、幼い弟たちを伯父に託して、比叡山に入山する固い決意の一句です。

夜更けに目が覚めてしまったので、五木寛之のネット小説、「親鸞」を読んでて、この場面でもうお腹いっぱいになりました。
読み出したら止まらない時代活劇のノリで読めるけど、このシーンには泣けて次は後でいいや。

掃除してたら、本棚の奥に吉川栄治の「親鸞」の上巻が出てきました。
これ?読んだの?若き日の私。
大正10年ごろ、当時30代の吉川栄治が新聞記者をしながら、新聞の連載をその日その日の書いていたとか。
あとがきを見たら井伏鱒二の手でそう綴られていました。
ひえ~。
ところどころしか覚えてない・・・。
下巻を読んだ記憶もないです。

マオは3度の通院で福沢さんが一枚飛んでゆきました(泣)。
真夜中にトイレに付き添いも、たいした苦でないです。
(外で用を足す習慣はなかなか変えられんようです。)
化膿止めの薬を飲ませる時は、すっごい抵抗するんで3人かがりです。
普段おとなしいだけに怒ると恐いマオです。

傷口を舐めないように付けられたネッカーですが、あまりに不憫なので時々外したりしていますが、目を離せません。


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by mume107 | 2010-06-13 03:08 | | Comments(0)

自ずから然るべきなる

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老子のいわれる「無為自然」はネイチャーのことではなく、「自ずから然るべき」なすがまま、あるがままだそうな。

人さまと自分を比べて優劣にこだわったり、どっちが正しくてどっちが間違っているかを判定したり、がんばってがんばって人から認められようとしなくてもいいんじゃないの?あんたはあんたで、悪くないよ。
そのまんまで上等だよ。
自分の価値は自分で低すぎず高すぎない評価ができれば、自己評価とかにこだわることもなく自然に確立できるんじゃないの?
ということだと思います。
もしかして。

自信なげで信用できないでしょ。
大丈夫、「親鸞」の著者で知られるかの著名な作家さんも、別の著書での「他力本願」の解釈の間違いを指摘されていましたからネ。

作家さんには作家さんの解釈、宗教家さんには宗教家さんの、教育者には教育者の、芸術家には芸術家の、サラリーマンにはサラリーマンの、主婦には主婦のさまざまな解釈があって、別にいいんじゃないの?

ただ、その解釈に固執せずに「莫妄想」。
ある程度見当がつけばあとは莫妄想です。

憶測や先入観や固定観念も妄想のうちだとします。
早合点や思い込み、勘違いも含めて囚われないフリーな状態をつくることに努めます。

混沌の中に秩序が生まれれば秩序を崩し新しく混沌を作り再び組み立て直す。
破壊と再生の繰り返しです。
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by mume107 | 2010-06-04 18:54 | | Comments(0)

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親鸞上人の説法、「悪人正機」解釈は、真意を離れて、悪いことをしても念仏さえ唱えれば、極楽浄土へ行ける。
と勘違いされたようです。

善行を完遂できない身でありながら自分が善人だと思っていること自体が「悪人」とする、ということらしいです。
悪人であることを自覚したところから、はじまる。
じゃあ悪いことしてもいいんだ。
ということでは決してなく、願いを持つこと。


「悪」と「善」についての定義も、一般の私たちが抱いているイメージとは異なるので、仏法を学んでいないものが解説するのは、誤解を招く危険をはらんでいるかもしれません。


一般的な定義

悪人:犯罪者、利己主義者、等

善人:善行を行える人、博愛主義者、等

歎異抄での定義

悪人:完全な善行などできないと自覚のある人

善人:完全な善行ができると思い込んでいる無知な人、又はおごりのある人


これと並んで解釈を誤解されてるのが「他力本願」です。
他の力をあてにするという意味ではなく、阿弥陀如来の力を本当の願いとするとあります。
じゃあ阿弥陀如来の力って何?

多くの人や自然や宇宙の関わりによって自分が生かされていることを自覚する。
ということかと思えば違うらしいです。

この世には知り得ないものが多くある。私たちの理解の範疇を超える明るく大きな力が働いている。
どれだけがんばって無理したって限りがある。
大きな懐で守ってくださるからジタバタせずに安心して暮らしなさい、ということかな。
老子の思想の無為自然に近い気がします。

うちがお世話になっている町内のお寺さんなら、一般人にもハードルを下げてわかりやすく解説してくださるのですが、少しでも生活の中に取り入れたい思いからわかる範囲で記載させていただきましたが、各所さまざまな住職さんのブログもいろいろあるので、正確な情報を探してみてください。

浄土真宗は、私のばあちゃんや母が信仰していたので身近です。
身近な生活の中に活用できる「考え方」のツールになりえる、と言ったら間違いと指摘されるかもしれませんが、(むしろ間違いなら指摘してほしいもんです。)
力まなくてもいい自然体での世界ではないかと思います。
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by mume107 | 2010-05-29 00:27 | | Comments(0)

悪人正機説、その続き

親鸞上人の説法、「悪人正機」について、『浄土へいけるよ』なんて書きましたが、真意は、
「自分にご褒美とかご利益がもたらされるといった見返りを期待してよい。」
という意味ではなく、
「たとえ何事が起ころうと、穏やかで安らかな境地に達することができる。」
というふうに解釈します。

「自分は善ばかりではない、自分の罪を認める」ということだそうです。

私はいろんなタイプのお局さまに出会い、どん引きしたりたびたび批判的になりましたが、これも罪です。
他者の悪事を批判したりあげつらうのではなく、自分のやらかしちゃったことへの内省のようです。
人に優しく自分に厳しくみたいな。

重ねて申しますが、度の過ぎた自罰感情は避けなければなりません。
かえって卑下慢というやつになるのではないかな?
(不必要に過度な反省や遠慮したりする態度によって、かえって周囲に不快や迷惑をかけることは「卑下慢」という高慢の一種だそうです。)
それよりも、自分の健康や欲求がくじけては生命力も低下してしまいます。

あと、自分のしたことを棚に上げて、他者に自罰感情を起こさせるようにコントロールしようとするのも罪だと思います。

でも、絶対ダメよ、という考えは人を縛ることになると思います。
中国の古いことわざに、「澄み切った水には魚が住まない。」というのがあります。
「小魚まで捕まえてしまうと、エサがないので魚が育たないから、小さいのは見逃してあげようよ。」

あまり決め決めに目くじら立てて細かい欠点までほじくり出すと、その人の伸びやかな感性が縮こまる。
少々の誤りや行きすぎは見過ごし、寛容な態度で接すれば、自由に泳いでこそいきいきとした思考が繰り広げられる。
という意味らしいです。

老子のてんもうかいかい天網恢恢・・・
という言葉は、天の網は目が粗くなんでもかんでも小さいことまで捕らえないけど、悪事は逃さないよ。
というような意味らしいです。
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by mume107 | 2010-05-27 22:33 | | Comments(0)

悪人正機説

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親鸞の説教の「歎異抄」に、
「善人なおもて往生を遂く、いわんや悪人おや」とあるそうな。

悪いことをしたことがあっても、罪悪感の自覚があり悔い改めれば浄土へいけるよ(b^-゜)。
といった意味らしいです。

しかし、この自責感情は個人差があり、倫理観も道徳観も人それぞれなので、度を過ぎると生命の危険につながってしまいます。

人には人の事情があって、テレビを見て笑っただけで、「ごはんたべますか」と言っただけで、ひどく傷つかれれるような、場合もあります。
それも罪といえば罪になってしまいます。
私の代わりに、屠畜して牛肉や豚肉を精肉してくれる人がおられるから、私は家族のために罪悪感をそれほど考えずパック詰めのお肉を調理できるのです。
(牛肉をいただくことはめったにありませんが・・・。)

私が絵を描くことに対し、不愉快になる人がいるのなら、それも罪といっちゃぁ、罪かもね。
人間は生きているだけで罪深いのです。
あんまりコチコチに考えず、自己否定、自己嫌悪になりすぎないようにした方がよさそうです。

それより、能力が足りなくて申し訳ありません。
とできんもんはやらない、と宣言した方がよさそうです。

五木寛之のネットで公開されている「親鸞」は、ノロノロと読み進んでおりません。
続きを一気に読みたいのだけど…。
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by mume107 | 2010-05-26 11:24 | | Comments(0)

親鸞上人、降誕会

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と今日のカレンダーの日付にあるのが目に止まりました。
お寺さんからいただいたカレンダーです。

仏教、儒教、道教。
解釈されたものを見ても難解です。
普段の生活なら実践できそうな気がしますが、やがてやってくる環境では、よほどの聖人君子でなきゃ実行するのがとてもじゃないけど無理な場合。
もちょっとハードル下げて易しいのはないものかなぁ、と思っていたところです。

五木寛之氏の「親鸞」をネット上で、まだ序の方しか読んでいませんが、親鸞が8歳のときに論語を勉強していたそうで…。

若いとき、別の著者の親鸞上人の小説を読んだことがありました。
兄も姉も読んでいたらしく、当時実家にあり「読んだらいいよ。」と薦められました。

たしか、禁欲的な修行では家族肉親の情を知ることは得られないと、衆生の心を知り得ないことを悟られて、当時僧としてはめずらしく奥さんをもらわれて、一般の人達と同じようにお肉もいただかれるようにされたのじゃなかったかな。

一般市民のできそうなところから説いてくださると、実行し易いのだけど。
ほんと、難しいことやれと言われても無理だから。
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by mume107 | 2010-05-21 23:29 | | Comments(0)