ブルー・ブレーン

脳ミソみたいじゃないですか?

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                         紫陽花   2005   アクリル  F8


今見ると、未熟さが目立ちますが、今こんなの描けません。

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by mume107 | 2008-05-30 23:50 | アート | Comments(0)

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あれ、ちょっとちょっと、カレンダーの更新した日が縦斜めビンゴになってる、じゃありませんか。

それはそうと、バカを名乗っておきながら、ブログの内容が硬~くなりつつあるのに、内心まずいぞという思いでおります。

この「バカ」の意味は、「偏執狂」(アートにたいして、ですよっ)とか、親バカとか、「空手バカ一代」のノリだと思ってください。
若い人、「空手バカ一代」なんて知らないでしょう。
1970年代くらいに少年コミック誌に掲載されてた漫画ですよ~。
作者は梶原一騎、つのだじろう。
余談でした。

デュシャンに学んだ、、「イメージを押し付けないで、鑑賞者の自由な心のままに任せる作品つくり」が、私自身が
できているかということになるかになると・・・、どうでしょう~。

ぜんぜんあきまへん・・・。
レディメイド発表すりゃいいってもんでもないし・・・。

考えるより手を動かすのが先ですね。
数こなして、作風を安定させるのが先決のようです。
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by mume107 | 2008-05-29 01:30 | アート | Comments(0)

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                         15歳   2006   

仲間と戯れたり

屈託なく笑ったり

ときに無口だったり

文句も言わず何があろうとキツイ野球の練習を黙々と続け

いつのまにか成長してる・・・
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by mume107 | 2008-05-27 23:27 | アート | Comments(0)

アートは、どんな見方が正しいとか、こう見るべきだという決まりはありません。
自由に思考を働かせ、自分にとって希望の持てる方に見るのがいいでしょう。
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                         こども心(再生)   ドロ-イング    2008


松尾芭蕉の句、「松嶋やああ松嶋や松嶋や」
この句がパクリだったとか、既成の句を引用したとか、それはもうどうでもよくて、
この上ない景色と感じた、何ものにもたとえられない感動。
松嶋の地そのまんまを詠んだのは、あまりに有名ですね。

作家のイメージを押し付けずに、鑑賞者は「自分の思うままに振る舞う心。気ままな考え。」で自由に観覧する。
ということを、デュシャンは薦めてくれたのでしょう。
そこで、芸術が完成するのですね。

現代美術を予見したデュシャンは、芸術表現にふれる鑑賞者の立場を重視し、創造行為は鑑賞者のなかで完結するのだと強調しました。 鑑賞者の側にこそ、かつての芸術にも科学・技術の見方にも縛られない、個人のものの見方の世界が広がらねば、せっかくの「新たな思想」も意味をなしません。

「泉」は既成の美意識に対する異和として置かれています。デュシャンが「本当の公衆」に期待したのは、その異和をたどること、既成の見方を離れ自らの心のうちの感情や概念化の動きをたどりなおすことです。 彼は鑑賞者のうちに誘発されるその行為こそが新たな芸術表現の姿だと主張したのです。

20世紀アメリカ現代美術作家論「アメリカ現代美術は何を残したか」 河瀬 昇 より


作家が手を加えてない既成のもの。
それは単体では、何の性格も気質もないものとします。
しかし、作家や鑑賞者が目をつけたところで、そこに性格や気質が宿るのです。

作家の性格や気質を持たないものを展示することによって、それは見る人の鏡になりうると、考えます。
鑑賞者自身が自分の思考パターンを知る(自己を知る)ことで、芸術として成立するのでは?

また、デュシャンは、従来の巨匠があつかってきた題材、手法で似たようなことをするのでも芸術と呼ぶのなら、
量産されたどこにでもある便器を、芸術だ!ということと変わりがない。
と、これまでの美意識を信じている芸術界に皮肉ったのです。

たぶんデュシャンは、鉛管屋のショウウインドウ越しに便器の声を聞いたのでしょう。
「オレは何のために生まれてきたのだ。」 人の排泄物を受け止めるだけなのか?
「もしこれが、一番そぐわない場所、つまり美術館で、誇らしげにスポットライトを浴びていたとしたら、人の目にはどう映るだろう。」
デュシャンはいたずらっぽく、人の反応を観察しようとしたのではないでしょうか。

デュシャンは、人々が持つ衛生観念から、便器のイメージのことを重々承知でインスタレーションにしたのでしょうね。
                                                                            以上は、これまでの自分の記事からの抜き出しです。

↓こちらもどうぞ。
自由な思いをはばたかせる



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by mume107 | 2008-05-25 09:42 | アート | Comments(0)

これでいいのだ!

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これ見て思い出しました。(著作権にひっかかるかな・・・)

私の原点は、これかも!

赤塚不二夫の脱力感のあるキャラクター。
バカに勇気を与えてくれまする。
小学校低学年のとき、赤塚不二夫のニャロメや、東京大阪万国博覧会で岡本太郎の太陽の塔にハマりました。
あんときは、脳天気でしたねぇ。
バカの勢いで突っ走る予定が、どこかでモタモタもつれたようです。

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                 万博の思い出    2006~08  アクリル  サムホール


絵日記や画用紙には、サインペンやクレヨンで太陽の塔の絵。
太陽の塔の中の、くらげからヒトまでの進化の過程まで、色とりどりに描いた記憶があります。
半端な数ではなかったはず。
変な子やったん・・・。
アジられたんでしょうな、太陽の塔に。
フィギュアというか、貯金箱も持ってました。

小学校時代の傑作は、先生の手によってコンクールに出され、そのまま処分されたようです。
残ったのはメダルや、賞品の鉛筆や水彩セット。
作品も残しておいてほしかったような気もしますな。
今となったらそれはどうでもいいけど・・・。
自分が思ってるほどたいしたもんでもなかったのかも・・・。





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by mume107 | 2008-05-23 17:32 | アート | Comments(2)

いったりきたり・・・

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             テッセン   2006   ハガキサイズ

思考の世界、フォンタナジャスパー・ジョーンズロバート・ラウシェンバーグディビッド・ホックニーのような現代美術。
それは、どこまでもどこまでも異次元の世界に引き込まれるような・・・。
学生時代はそのような作品が好きだったし、現代美術の展覧会に出会えたことは、幸運だったと思います。
ドラえもんのどこでもドアのようなワクワク感で観覧しました。

卒業後はその一方で、アールヌーボーやらベルエポックやらにあこがれ、ロココ時代のフラゴナールの黄色いドレスの読書する娘みたいな写実をいつか描けるようになりたいもんだ、と思ったもんです。

だんだん、大人になるにつれ周りの人達のステレオタイプを読むようになって、それが自分自身を縛っていくことになったようです。
ここは大事ですよ。
色々チャレンジしてはみたものの、まずは、自己の解放。

月日とともに、おかれてる状況で自分にできること、可能なことを選択するようになるのですね。
というか、行き詰って助言をもらったのが転機になったのですが・・・。
とどのつまりは、こどもの頃から目にしてきたもの、ふれてきたもの、食べてきたものに行き着くようです。

こちら関連記事もどうぞご覧ください。



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by mume107 | 2008-05-22 17:46 | アート | Comments(0)

たとえ使用されてない、まっさらなものでも、トイレにまつわるものが不衛生という認識を持ってることは、むしろまともで安全、当たり前のこんこんちきと言えます。

私たちの先祖は、ペストやコレラなどの感染病で人がバタバタ亡くなっていくのを防ごうとして、長い年月経過とともに上の物と下の物の区別をつける認識を、DNAに刻みこんできたのではないでしょうか。

今私たちが、こうして生きていられるのは、古代からの先人の知恵のおかげと考えても、大げさではないでしょう。

デュシャンも展示場所を変えただけで、どこまで思考を遡らせる人間がいるかどうかということを考えてたかどうかは知りませんよ。

デュシャンは、人々が持つ衛生観念から、便器のイメージのことを重々承知でインスタレーションにしたのでしょうね。

デュシャンが人々に提案したかったことは・・・。

関連記事
20世紀アメリカ現代美術作家論「アメリカ現代美術は何を残したか」 河瀬 昇 より

レディ・メイドについて

レディメイド   存在   2007 


ダジャレでごまかした作品    りんご・スター・・・なんちゃって 2006
ドラム缶のレディ・メイド   存在  2007

もっと単純
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by mume107 | 2008-05-21 09:55 | アート | Comments(0)

安易にスーパーへ買いに走りません。
出不精なので・・・。

家の周りに生息している、蕗(ふき)、タラの芽、蓬(よもぎ)三つ葉、うど、などの野草。
または、菜類、アスパラガスなどの野菜を採ってきて調理します。

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もっぱらおおっざっぱな田舎料理ばかりです。
イタリアンやらフレンチなど、とてもとてもーぉ・・・なかなか手がけられません。
左上は蕗(ふき)の煎り煮ですが写真は、野草ばかりではないです。
文面と合いませんね。

一応家事はまじめにやってるということで・・・。
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by mume107 | 2008-05-21 08:20 | Comments(0)

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それは、いつから?

人々が花が美しいと感じるようになり、
鳥が自由だと思われるようになったのは。

デュシャンの「泉」が新しい概念としてマスメディアを通して登場して、100年足らず。

排泄物が不衛生で、それにまつわる物も不浄なものという認識は大昔からあったはず。
もしかしたら700万年前の猿人類以前からだったりして。
(参照 トイレの歴史


もし、あなたの食卓に、初めて使われた新しい便器に盛り付けられた、料理が出されたとします。

食欲、失せませんか?
それとも、「変わってて面白い」と、逆に食欲そそりますかね。
「ただの器だ、別に不衛生でもない」と、思えますかね。

日本の神話にも、古事記にはイザナギ、イザナミの二番目の子供が自分の排泄の穴から穀物を出して、皆に振舞ったらしいけど、それを気味悪がられ嫌って殺され、土に埋められたところから、麦だったか粟だっだかが生えてきたという話し(だったかな?汗)ですが、世界中のどこにも、似たような話しがあるそうです。

イギリスの物理学者ロジャー・ペンローズが考案した平面充填形で二種類の菱形によるものである、ペンローズ・タイル。
無断でトイレットペーパーの図柄に使われ裁判沙汰になり、判決では不遜として使用禁止となった。(参照『ウィキペディア(Wikipedia)』

トイレにまつわるもののイメージのせいだったのでしょうか。
宿命ですかねぇ。
(「宿命」とすることについても、なにか限定する必要あるのか?)

それでも、デュシャンの「泉」は、新しいアイデアとして脚光を浴びたのです。

イメージを捨てて、「これは、物言わぬただの物体ではないか」
と、見ることができる人は、いったいどのくらいいるのでしょう。

注意  アートは、どんな見方が正しいとか、こう見るべきだという決まりはありません。
     自由に思考を働かせ、自分にとって希望の持てる方に見るのがいいでしょう。

奇妙なものを見たとき、私たちは・・・
↑こちらもどうぞ。


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by mume107 | 2008-05-19 16:15 | アート | Comments(0)

ゴジラがきたよ!

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見越し入道という、日本古来のもののけ。

得体の知れない不気味なものの大きさを、人は恐れます。
その大きさに呑み込まれると、あまりの恐怖に死に到るケースも・・・。

ところが、見越してしまうとたいして大きいものではないことに気がつきます。

ちょっと似たような小話を、立川志の輔師匠がしていたのを、記憶の限り思い出しましょう・・・。

「たいへんだ!ゴジラがきたよ、危ないからこっちへおいで。」

「なーんだ、ゴジラって意外と小さいんだ、たいしたことないね。」

2行で終わってしまった。
もっとエキサイティングなお話だったのに・・・。

生きてる間は、いろんなことに悩んだり、不安を感じたりしてしまいますが、
宇宙から地球を眺めるつもりで、自分の身の回りの出来事を眺めれば、
ちっぽけになって、どうってことない気がしてきます。

画像と関係ないお話でした。


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by mume107 | 2008-05-18 18:07 | アート | Comments(0)