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カオスの中身

ここで一遍、私の頭の中のカオスを整理する必要がでてきました。

いくら実験的にレディメイドを発表したとしても、私が今やっていることは、デュシャンの手の中で奮闘してるに過ぎなくて、発展途上のままです。

デュシャンについての記事から、理解できる部分を抜き出してみました。
以下のグレー文字部分は抜き出し文です。

1916年スイス、チューリッヒ
既成の文化芸術を否定する前衛芸術運動がダダイズムです。

ダダイズムの否定の精神は、
破綻しつつある近代の成果すべてを否定し、問い直そうとするものでした。

現代美術を予見したデュシャンは、芸術表現にふれる鑑賞者の立場を重視し、創造行為は鑑賞者のなかで完結するのだと強調しました。 鑑賞者の側にこそ、かつての芸術にも科学・技術の見方にも縛られない、個人のものの見方の世界が広がらねば、せっかくの「新たな思想」も意味をなしません。

「泉」は既成の美意識に対する異和として置かれています。デュシャンが「本当の公衆」に期待したのは、その異和をたどること、既成の見方を離れ自らの心のうちの感情や概念化の動きをたどりなおすことです。 彼は鑑賞者のうちに誘発されるその行為こそが新たな芸術表現の姿だと主張したのです。

カオスの中身_b0135545_1042350.jpg

                                  「泉」1917 
                          スティーグリッツによる写真

否定して、原点からやり直さないと、既成の見方が邪魔をして新しい発想は生まれてきません。

でも、否定する前に鑑賞者の「これまで信じてきた価値観」を、肯定してあげないと拒絶されてしまうのではないかと思うのですが。

例えちっちゃいもんにこだわって、狭い文化の中におられたとしても。

「大衆に受け入れられる作品よりも、大衆を受け入れさせる作品作り」
をすることが、鑑賞者自身の目と心で感じ考えることへの第一歩、なのではないかと・・・。
んでも、どうやって?
それが今んとこカオスなので、まとめていきたいとこです。
by mume107 | 2008-04-22 11:21 | アート